聖書のお話し「ねたみと信頼」
詩篇37篇1―6節 小幡幸和兄

何年も前の冬季オリンピック直前、米国女子フィギア・スケート選手のナンシー・ケリガンが襲撃されて足を負傷し、ライバル選手の夫が犯行を指示したとして逮捕される事件がありました。ケリガン選手の才能と人気をねたんだ末の犯行だったのでしょうか。(ちなみに今年、この事件を題材にした映画が公開されます。)
  聖書には、「ねたみ」について二つの意味合いがあります。まず、神は「ねたむ神」(新共同訳では「熱情の神」)として記され、これは私たちを強く愛する神の思いを表しています(出エジ20:4-5、ヤコブ4:4-5)。一方、人の「ねたみ」はむなしいものであり(伝道4:4)、「肉」(人間的な考え)から生まれた(Ⅰコリ3:3)よくない思いです。
  詩篇37篇には、周りの人を見て過度なうらやみやねたみの感情を持つのではなく、誠実に暮らしている者を決して見捨てない神を信頼せよと記されています。私たちのことを「ねたむほどに」(強い気持ちで)愛してくださる神がいるのだから、ねたみの思いにとらわれるのではなく神を見上げよということなのです。(文責:小幡幸和)

2018.03.25(日)


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