聖書のお話し「面目を失うことはない ―詩篇とパウロにみる神への信頼―」
詩篇25篇1―3節       小幡幸和兄

  「日本は恥の文化で、西洋は罪の文化だ。」と言われたことがありました。もっとも、「恥」の概念はどの文化でも見られると最近では言われます。「恥」、「恥辱」、「面目」、「メンツ」といったものは、無意識のうちに私たちの心と行動に影響を与えかねないだけに無視できません。
  実は、聖書の中でも「恥」は重要な位置を占めています。例えば、ローマ1:16は「福音が私に恥をもたらすことはない」とも訳せます。これは、福音の宣教者として祝福されているはずなのに、実際は(恐らく)病を負い、自分の身に次々と不幸が襲ったパウロの言葉です。この背景には「福音を信じた人の行く末は病と不幸の連続なのか」、つまり「福音を信じていると結局最後にはバカを見る、つまり恥辱を被る、面目を失うのではないか」という問いがあったようです。
  パウロの返答は、旧約聖書に多く記されている言葉の焼き直しでもありました。主を待ち望む者は、誰も恥を見ることはない(詩編25:3)。これは昔も今も変わらぬ真実の言葉なのです。(文責:小幡幸和)

2018.03.18(日)


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