聖書のお話し「嘆きの先にある確信」
詩篇23篇1―6節 小幡幸和兄

  足首の負傷という苦難を乗り越えて平昌オリンピックに出場した羽生選手の活躍は見事でした。金メダルを取ったことがわかった瞬間、テレビに映った羽生選手の口元は「ありがとう」と言っているように見えました。苦しみの後に栄光を味わった人の最初の言葉が感謝の表明であったことが印象的でした。
  詩編23篇は神に対する感謝と信仰の確信を表した詩編です。自らを弱い羊にたとえて、必ず共にいて守ってくださる「羊飼い・牧者」としての神への信頼がうたいあげられています。この詩編23篇が、嘆きの詩編である詩編22篇の直後に配置されているのは示唆的です。
  つまり、麗しい詩編23篇の言葉は、決して安易な現実逃避の表明ではないのです。むしろ、嘆きと苦しみを味わった人こそが辿り着いた信仰の境地なのです。
  誰もが羽生選手のような栄光を得られるわけではないでしょう。しかし、どんな人も神が共にいるゆえに「私の杯はあふれている」という確信を得ることができるのです。(文責:小幡幸和)

2018.02.25(日)


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