ヨルダン河から上がられたイエス様をみて、ヨハネは、「見よ。神の子羊」と呼びましたが、傍にいたアンデレも、その真の意味を掴んでいなかった。
ピリポ・カイザリヤでのペテロの告白も、再びイスラエルの王として君臨されるキリストを夢に描いていたものであったから、生きてイスラエルを支配し、この国を救ってくださるのでなければ、何のためのメシアですか、とんでもないことです。先生にそんなことが起こるはずがありませんとなった。
4章の荒れ野でのサタンの誘惑を振り返ってください。あの時、サタンは一時、イエスを離れたが、今やペテロをしてイエス様の聖なるご意思を潰そうとかかったので、イエスは激しく、「下がれ。サタン」と宣告された。
「あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」。イエス様は神のことと人の事が対立する時、断じて引き下がりませんでした。サタンは今も私たちの隙を窺っています。私たちは徹底せず、妥協の文化の尾を曳いているので、イエス様のこの警告は、イエス様に従って、「この道」を歩く者として、常に目の前に掲げておく必要があります。宝物を奪われないでください。
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