聖書のお話し「イエスは触れられた」-イエスのように 20-」
マタイの福音書 8章 1~3節、讃美歌Ⅰ 39番

  この情景はマルコ 1:40~~44、ルカ 5:12~14にも記されていますが、きわめて稀な出来事であったでしょう。レビ記 13章にもあるように、この病気の方は家族、地域社会とも離され、道を歩くときは、今では考えられないことですが、「私は汚れた者です」と繰り返しながらと歩いた。
  ツァラアトと宣告された者の四方は暗かった。家族、社会からも断絶された寄る辺ない者には寂しさ、絶望すらあったろう。この人は律法を無視し、ただ、このお方に望みを置いて、イエスの御許にひれ伏して、イエス様への信仰を告白した。そのとき、当人はもとより、周りの人たちが思いもかけぬことが起きました。イエス様が手を伸ばし、彼にやさしく触れられたのです。
  まさに、「主がともにいてくださった」のです。はるなでは、町の方も含めて、東日本大震災の方々にずっと寄り添っています。それは「なにごとでも、自分にしてもらいたいことは、他の人にもそのようにしなさい」とのイエス様の教えを、どうにかして生かしたいからです。世の闇、おしせまり、死へのいざないしげきときも、主の手は伸されています。マタイ 28:20

2017.12.03(日)


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