イエス様は山の上で弟子たちに教えられました。その一部が今日の聖句で、「さばいてはいけません。あなたもさばかれないためです」と。これを聞いて、私は人を裁いたことなどないと、ある人はいうかもしれません。
聖書で、この「裁く」という言葉がどのように使われているか見ましょう。
考える(ローマ 14:5)、決める(使徒 16:4)、思う(ルカ 7:43)・・・。これらは日常どころか、瞬間、瞬間に行っていることです。
イエス様の教えは、その時、あなたの判断基準はなんですかと問うておられます。よく間違って第一回エルサレム会議と言われますが、これは人間が招集したのではなく。パウロ神の啓示で上り、その決定は誰かの鶴の一声ではなく、多数決でもなく、ただ聖霊によってでした(使徒 15:28)。
私たちが考え、何かを決め、こう思い、裁くときは、たいてい自分を理由なしに守る傾向、即ち不公平があります。私たちに対する父なる神の思いは、「何事でも、自分にしてもらいたいことは、他の人にもそのようにする」ことです。申命記 1:17、ガラテヤ 6:1~5にも聴いてください。
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