ヤコブは、兄のエサウに与えられるはずであった祝福をだまし取った人でした。そのことで兄の怒りをかい、命からがら家族の元を逃げ出したあわれな人でもありました。
ある晩、野宿していたヤコブは夢を見ます。天から地に向かって伸びた階段を、天使が行き来している夢でした。そして、傍らに立った主が祝福の言葉をヤコブに投げかけるのでした。
自分の愚かさが原因で人との交わりを断たれたヤコブ。この夢は、そんなヤコブでさえも神は見放していないことを示しました。そして、独りぼっちの野営地でさえも神との出会いを体験できる聖なる場、すなわちベテル(神の家)となり得ることが示されたのです。
讃美歌90番「ここも神の」三節でも、神と出会える場はどこにもあって、たとえ人の中に邪悪(よこしま)なものがあろうとも、主のみ旨は必ず成るとうたわれています。このことを忘れないようにしたいものです。(文責:小幡幸和)
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