選択を迫られているのに、つい「何でもいい」、「どちらでもいい」と思ってしまうことはありませんか。うどんと蕎麦、コーヒーと紅茶の選択ならそれでも良いかもしれません。でも、人生には思い切って一つの決断をすべき時があります。
信仰の父アブラハム(アブラム)は、神の声に従って大きな決断をしました。それは、故郷であり多神教の中心地でもあったウルとハランを去るという決断でした。
古代の多神教社会は、「どんな神でもいい」ことが「なにをしてもいい」ことにつながり、倫理的、道徳的に乱れているこが多かったようです。アブラムが訣別したのはまさにそんな社会、そして「何でもいい」という生き方でした。その決断の先には、神の大きな祝福が待っていました。
賀川豊彦は、神戸のスラム街で仕えるという信仰の決断をした後、神から豊かに祝福されました。信仰の道を踏み出す時、私たちにも神の豊かな祝福が約束されているのです。(文責:小幡幸和)
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