聖書のお話し「待ち望むことの意味」史朗兄
ルカの福音書 1章26〜45節 

  今は待つことが苦手な時代です。待つことを時間の無駄と思い、待つことは不安と恐れを生み出すと思い込んでいますので必然的に「早く、はやく」と人を追い立てる時代になってきています。
あの時、ナザレに住む、おとめマリヤに天使ガブリエルが伝えた、「おめでとう」に始まる言葉は驚愕以外の何ものでもありませんが、そのマリやから今日は、「待つことの意味」を教えていただく。
第一の要点。「恐れることはない」。これこそが待つことができる
第二は、「神に向かって、心を開いて待つ」。待つことは自分の思いが優先することではなく主のみ心の成ることを信じることである。
第三は、積極的に待つことです。マリヤは神のご計画を確信し、逃げるのではなく、積極的に行動した。山地にあるユダの町のザカリヤの家に行ってエリサベツに会ったこともその一つの表れである。
第四、そのように待つことの幸いな結論が1:45に示される。  ダイアモンド誌に、「なぜ、山崎製パンは災害時の緊急支援に強いのか」という記事があったが、先代社長が主を信じ、バプテスマされて間もなく主力工場を全焼した時、彼は今までの商売第一を悔い改め、神の方向を待つ経営と変え、今もその祈りは続いている。 

                                    
2016.12.18(日)


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