聖書のお話し「慎み、恐れて神によろこばれるように仕える」
へブル人への手紙 12章18〜29節、 史朗兄

  10:25に、「ある人々のように、一緒に集まることをやめたりしないで」とありますが、このような戒めは、かつて新約聖書には一度も出て来ませんでした。礼拝は信仰の家族とともに神のみ前にひれ伏すとき、お仕えするときであって、これがないことは考えられないことでしたから。ペテロが西暦60年頃に書いた手紙に、「キリストの来臨の約束はどこにあるのか」と言い張る人たちがいると書いていますが、へブルの手紙はその後に書かれているので、すでに人々は、あのペンテコステの日の感激を忘れ、主の来臨のお約束も忘れ、キリストを通して聖なるみ神の前に、恐れなく近寄ることができるようになった恵みを忘れていました。礼拝を通し神とお会いすることを捨てるとは最高の宝を捨てるようなものです。 ある人たちは異教の鬼面人を驚かす儀式に目を奪われ、主の食卓を中心とする礼拝は、つまらないと思い始めていて、それが高じて、礼拝を侮ることになっていきました。礼拝は説教を聞きに行くためや、親しい友と会うためではありません。目に麗しく見える、サタンの惑わしに負けないでください。完成者であるイエス様から目を離さないで、12:28のみことばを心に刻んでください。  

                                    
2016.12.11(日)


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