聖書のお話し:「大胆にまことの聖所に入る」
へブル人への手紙 10章19〜25節 

  60年前、勇を鼓して教会のドアを叩いたと自分では思っていましたが、後ではっきりと教えられたことは、それこそ、主イエス様のお招きと後押しがあったゆえでした。黙示録 3:20。
   私たちは歩んできた人生であまりにも騙され、だましてきたので、表題の聖句を素直に受け取らない、また、とれないのです。  あの放蕩息子を待っていた父親を見てください。どうして父親は帰ってくる息子をいち早く見つけられたのですか? ずっと待っていたからです。帰ってくる息子を怒鳴りつけるためでしたか? とんでもない。ルカ 15:20〜24をじっくりとお読み下さい。
  「どんな罪でも、主は赦したまう−聖歌 420−。それだけではありません。ご自身の家族として迎え入れてくださいます。  私と真の神の前にある大きな障害物の山は、だれでもない私の罪の残骸です。私がどうしても撤去できなかった、そのものをイエス様がご自分の血でもって、きれいになくしてくださいました。
   私たちを迎え入れる門は私たちを食い物にする罠では決してなく、天の神の国に続く、真っ赤なカーペットです。10:19! 

                                    
2016.10.30(日)


>> 最新のメッセージ
© はるなキリストの教会