聖書のお話し:「いのちの大切さ。人生の意味」
創世記 2章7〜8節 幸和兄

  「なぜ、人を殺してはいけないのか」と問うと、当たり前だとか、かけがえのないものだからと答えるが、も一つ意味が分からない。

  ある紙はシュレッダーにかけるが、同じ紙でもお札はかけない。そこに意味があるからだ。ある弁護士は、たとえ国家が命じたとしても、殺しの差別の構造があるからと死刑廃止の運動をされている。
  創造の初め、神はちりに、いのちの息を吹き込まれ人は生きる者となった。「ちり」と「いのち」の違いは大きい。神だけがいのちを与え、また取られる。ヨブ記 1:21
  神は私たちに、生きるいのちを与えて下さった。そして、いのちの水は私たちを潤すために、今も流れている。ヨハネ 4:14.
  日野原重明先生は、今も「いのちの授業」を子ども相手になさっておられ、例えば聴診器で心臓の鼓動を聞かせ、これが生きている人の一つの証拠と教え、体そのものはいつか滅びる。いのちとは体そのものではなく、その中に入っている大切な宝ものですと。
  パウロはコリンとの教会に、この土の器に宝を入れて下さった神のはかり知れぬ力を凝視させている。U コリ 4:13〜14。

                                    
2016.10.23(日)


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