聖書のお話「きょうという日に」 史朗兄
へブル人への手紙 3章 7節〜15節

  この手紙を書いた方は、実に適切に旧約聖書から引用し、「もし、最初の確信を終わりまで、しっかりと保ちさえすれば、私たちは、キリストに与るものとなる」と、エジプトを出てからのイスラエルの不信仰と、それにもかかわらず、神の下さった忍耐、憐れみは、今の私たちにも、経験し得るものであると説き明かします。
 主の力強い御手によって、奴隷の家であったエジプトから解放されたイスラエルは、当初、あんなに喜んだのに、出てすぐに海辺で、また、荒れ野でつぶやき始め、モーセを通して神がなされたことに文句たらたらでした。神の御憐れみにもかかわらず、イスラエルは反抗し続けました結果が、40年の荒れ野の彷徨となったのです。 「今日、もし、御声を聴くならば・・・心を頑なにしてはいけない」との、みことばは、今の私たにも語られているみことばです。事実、7節の「聖霊が言われる」は現在形で、今も語り続けられているとうこと。13節にも、「今日」が出てきます。明日ではないのです。
 私たちは、過去から学ぶことが山ほどある。イスラエルの荒れ野の不信を繰り返さず、「最初の確信を終わりまで、しっかりと保ちさえすれば、私たちは、キリストに与れる者となる。」14節。

                                    
2016.07.10(日)


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