過ぎ越しの祭りの前に、世にいる自分のものを愛されたイエスは、その
愛を残ることなく示されて、「わたしはあなたがたをもう奴隷とは呼ばず
あなた方を友と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたが
たに知らせたからです。」とおっしゃいました。このみことばは考えれば、
考えるほど人間の世界ではありえないことです。私たちがまだ罪人であっ
たとき、キリストは私たちの罪の赦しのため、ご自身で十字架におかかり
になられたのですから。イザヤは預言して、「わたし、このわたしは、私
自身のために、あなたのそむきの罪をぬぐい去り、もうあなたの罪を思
い出さない。」と43:25に書きとどめます。一方、人間の許しは正反
対で、「お前を許す。しかし、今後、一切、お前とは縁を切る」と。
イエスが語られた放蕩息子の話、年老いた父は彼を待ち続け、帰って
来た息子をいち早く見つけるや、駆け寄り、ひっしと胸に抱いた。この
父の苦しみと喜びは、そっくり神の苦しみと喜びを表している。パウロは
「しかし、以前は遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエス
のなかにあることにより、キリストの血によって近いものとされた。」と
エペソ 2:13に証します。この意味をしっかりと知りますと、私たち
の生き方、行動は変わる。イエスとともに歩くあなたを実感してください。
|