初めにお話ししましたように、この手紙が、いつ書かれたのかも、他の
ことと同じく、はっきりしませんが、少なくとも西暦70年のエルサレム
陥落には触れていないので、その前に書かれたのでしょう。
考えてみてください。十字架のあと、わずか40年で、すでにキリスト
教会内には様々な変化が始まっていました。ペテロも聖書の私的解釈、偽
教師や異端に警戒するように言っていますが、今日のところは、天使を
問題にしています。もともと、ユダヤ人たちは神の律法はみ使いが人間に
下さる道をつくったという言い伝えを持っていて、特にミカエルを崇拝し
ていたようです。再び頭をもたげてきたユダヤ教への後もどり、また東方
からの思想との混淆もあったでしょう。
そこから、イエスとはどなたか? 聖書、即ち、当時は旧約聖書と書き
続けられていた新約聖書)とは何かについての確信があやふやになって
きて、すでに聞いた福音の望みから外れ、信仰の脱線が始まっていた。
私たちの信仰は聴くことから始まり、聴くことは、キリストのみこと
ばによるのです。ベレヤの人々は、パウロの教えを熱心に聴き、果たし
て、その通りかと、自分で毎日、聖書を調べたのです。日曜日の礼拝説
教を聞くのみで、よしとするとき、あなたは決して霊的に成長しません。
|