聖書のお話「母に抱かれている幼児」―ピリピ 6―
ピリピ人への手紙 4章 6〜7節

 今日は、パウロが強調している「喜びなさい」を思い煩わないという観点から見ます。パウロがのちにローマの教会に書いた手紙に「むしろ、神のみ心は何か。すなわち、何がよいことで、神に受け入れられ、完全であるかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい」と勧めるが(12:2)、ここで「心」と訳されている元の言葉は、「考え方」と訳したほうが誤解はない。
  この幼児が、いつかは母の胸から落とされると心配していれば、その顔に安らぎはない。しかし、母はそんなことはしないし、幼児も母親を信頼しきっているから笑顔ですやすやしているのである。「思い煩う」とは、自分の環境に対する否定的な思いから出てくる。
  父なる神は、み子を賜うほどにあなたを愛され、その愛は永遠に変わらない。今は聖霊の神を通して、あなたに尽きぬ愛を注ぎかけて下さっている。神の愛に売り切れはない。しかし、罪ある人間は今、わが子を殺しさえしている。イザヤ 49:15の神の憐れみのなんと深いことか。その真実の神を知る時、私たちは、どうして思い煩うことがあろうか?「あなた方の思い煩いを一切、神に委ねよ。神があなたのことを心配してくださるから。」Tペテロ5:7

                                    
2015.12.13(日)


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