聖書のお話「旧約聖書に見る恵み―申命記より」
申命記 7章 6〜8節

 幸和兄の説教から― 同兄は、第二、第三日曜日と礼拝の説教奉仕をしていますが、私が新約聖書から語っていますので、聖書の全てが読めるように旧約聖書から語りはじめ、今日はその4回目です。 イスラエルの民はエジプトを出たが、いまだ彷徨い続け、約束の地に着けず、希望さえ失いかけたときに、神は「あなた方は主の聖なる民、宝の民である」とふたたび、みことばをくださいました。  それは彼らがどの民よりも数が多かったからではなく、主が、まず彼らを愛され、彼らの先祖たちに誓われた誓いを守られたからであった。→申命記 8章17,18節の再度の戒めを心に留めよう。

 主が彼らを選ばれたのは、ただ主の御恵み、即ち、いただくのに何のいさおし−功績もないにもかかわらずであったのです。 同8:17には、「私の力が」、また9:5には「私が正しかったから」と言わないようにと厳に戒めているように、今、あなたがあるのは、あなたの家柄でも、教育でもなく、あなたの努力でもない。それ以上に、神の御恵みがあったからこそと再確認しよう。 「いのちの、このことばにより、あなたがたは、ヨルダンを渡り、所有しようとする地で、長く生きることができる」32:47

                                    
2015.09.27(日)


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