聖書のお話「接写レンズと広角レンズ」−幸和兄の説教を聴いて―
創世記 45章 3〜8節

 聴き終わってから、題の意味が分かりました。創世記42章からの物語は、飢饉により食料を乞いに来た、かつてヨセフを奴隷に売った兄たちと、今やエジプトの宰相として、食料を施す側に立ったヨセフとが出会う、最も劇的なものの一つです。説教者はいうのです。もし、この時のヨセフを接写レンズで撮れば顔は涙でくしゃくしゃであったかもしれないが、広角レンズで撮れば、神の計り知れぬ、お取り計らいに歓喜に満ちた顔であったろうと。確かに神とまみえる今、一時、一時は大切です。しかし、今日という日は途切れている時間ではなく、昨日も今日も明日も連続している神のみ手の中にあるのです。私たちはどうしても、目の前の些事を、或いは、自分を基準に物事を見がちであることを悔い改めなければならぬ。

 イエス様が「目を上げて畑を見なさい」とおっしゃられたように、あなたも目を上げてみてください。「昔、書かれたものは、すべて私たちを教えるために書かれたのです。それは、聖書の与える忍耐と励ましによって、希望を持たせるためなのです」とパウロは諭します。ヨセフに起こった事も遠い昔の出来事ではなく、今のあなたにもつながる、神様の不変のお恵み、ご計画であることを知ろう。

                                    
2015.08.23(日)


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