聖書のお話「完了した」−29−
ヨハネの福音書 19章28〜30節

 一番、初めに手にした文語訳聖書では「事畢りぬ」とあったのが、次ぎの口語訳では「すべてが終わった」となり、なんとなく違和感があったが、今使っている新改訳聖書では「完了した」と訳されている。新約聖書のギリシャ語を短く日本語に訳すのは容易くない。

 完了したとは、イエス・キリストの預言がすべて、特に十字架の贖いのわざが成就されたことを暗示している。そればかりではなく、イエス・キリストの十字架の贖いは、今も生き生きと続いていて、信じる者を新生させると明示している。漢字の「畢」という字も、単に終わるではなく、何かをことごとく達成しおえたという意味があるので、さすがに明治・大正の人は学があると感銘させられる。

 人となられた神の子、イエスは確かに、失われた人を探して、救うためにいらっしゃいましたが、ゲッセマネでの、「しかし、みこころのままに」との祈りは私たちをしてひれ伏させます。イエス様は「神のみことば」そのままのお方で、信じる者にいのちを与え、その者を闇に打ち勝つ、光り輝かす者とされ、今も永遠の勝利の主を告げ知らせ続ける者として、あなたを立たせてくださっています。

                                    
2015.08.09(日)


>> 最新のメッセージ
© はるなキリストの教会