主イエスは弟子たちに、いよいよ苦難の時が来たことを厳かに告げ始める。あなた方はわたしのゆえに今夜、つまずくと主イエスが言うと、ペテロはほかの者がそうであっても、私は決してつまずかないと断言し、あなたのためなら、命をも捨てますとまで言い切ったが、すぐ、その後でペテロがどうしたかを私たちは知っている。
これはペテロがそそっかしい男であったからではない。この時点でのパテロとペンテコステ以降のペテロとは全く別人なのだ。
確かに彼らは預言されたメシアを待ち望んでいたが、その理解は単に地上のユダヤ王国の復興に留まっていたので、それがもろくも崩れた時、彼らはイエスを否み、去ろうとさえしたのであった。
教会には様々な人が、それぞれの思惑を持って来る。その人々が聖書からイエスとはどなたかを知らされない時、彼らもまた、早晩、去っていく。パウロは使徒の働き 28章でイザヤ書を引用して、彼らを責めているが、それ以上に彼らに人間の思惑を変え、神のみ旨をしっかりと悟らせる教会の重大な使命を、今、深く知らされる。
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