聖書のお話「裁くためではなく、救うために来たイエス」−Jn20− 
ヨハネの福音書12章44〜50節

  人生には何回も決断を迫られるときがある。2009年1月、急に右半身の麻痺。なんであるか想像できたので、群大病院に電話。時間との勝負だからと近くの榛名脳外科を勧められ、即入院、発症45分後には点滴開始。当時は3時間以内だと助かると言われていたが、それは躊躇う時間ではなく、生への決断の時間であった。 

主イエスは「わたしは光として、この世に来た、わたしを信じる者が、再び、だれも神から離れ、かけ離れた闇に留まり続けることないため」と宣言され、パウロはイザヤの預言を引用して「確かに、今は恵みの時、今は救いの日です」と断言する。ヨハネ 17章には、主の祈りが記されているが、その中で主は「永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストを知ることです」とある。知るとは主イエスの十字架と復活を自分も体験すること。マタイ 16:24。私は退院後も、なお、定期的に診察を受け、日々、自ら節制している。マタイ24:13の通りである。「今は救いの時」、黙示録 22:7!!!

 
2015.05.31(日)


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