今日のみことばは、11章1節から続いているところです。10章の終わりにイエスはヨルダン河を渡られたとありますが、その反対側のエルサレムに近いベタニヤのマリヤから使いが来て、彼女の兄弟ラザロが病んでいると知らせてきた。しかし、イエス様はすぐには出発なさらず、なお、二日そこに留まられたと記してある。
今まで、イエス様は様々なしるしを通して、ご自分が預言されていたメシヤ、神の子、救い主であることを人々に見せてきましたが、心鈍い私たちはそのしるしを通しても、まだ悟ることがなかった。
ラザロの臨終の場にいて、よみがえらせたとしても、弟子も含め、人々の反応には何の変りもなく、以前と同じであったろう。
「その石を取り除きなさい」とのお声に、マルタが「主よ。もう臭くなっています。四日になりますから」との記述は、まさに復活の主イエス様を疑うことを払拭する前提であった。イエスの祈りは、全てを統べ給う父なる神と一つであることを強烈に証言している。信仰により聖霊様を頂き、一つとされた私たちの祈りを吟味せよ。
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