聖書のお話「神の時、人の考える時」 −Jn11−
ヨハネの福音書 7章 3〜13節

  主イエスにはヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダの弟と、また妹たちがいましたが、まだ、その頃、彼らにとりイエスはたんなる兄貴でしたから、ガリラヤのこんな田舎にいないで、エルサレムに行って、もっとでっかい事を人々に見せろとけしかけるが、イエスはまだ時ではないと戒めます。イエスは確かに贖いの子羊としておいでになられましたが、その救いのわざを、イエスが天に帰られてからも エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで宣べ伝えるために鍵となる弟子づくりの時間が必要だったのです。  しかし、その時間は際限なく長引くものではありませんでした。 12章12節以降に「さて、過ぎ越しの祭りの前に、この世を去って、父のみもとに行くべき自分の時がきたことを知られたので、世にいる者を愛されたイエスは、その愛を残るところなく示された」とあり、17章に、いよいよ、「父よ。時が来ました」と言われた主イエスに私の心は痛みます。イエスのなさり方は綿密、手抜かりがない。去って後は聖霊を下さるなど、福音伝道を、再び主が来るその日まで続くようにされた。自分ではなく、神の時を悟りたい。

 
2015.03.29(日)


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