聖書のお話「論語読みの論語知らずというが」 −Jn8−
ヨハネの福音書 5章19〜47節

  イエスの時代のユダヤ人たちは、今の私たちよりはるかに旧約聖書を読んでいた。メシアが来ることも、何をなさるかも読んでいたにも関わらず、後に弟子のピリポが私に父を見せて下さいと願ったとき、「わたしを見た者は父を見たのです」と主は言われたが、ユダヤ人たちは、このようなこと全てを神への冒涜だとし、ますますイエスを殺そうとするようになっていった。これも預言されていたことであったが、ついにイエスを十字架につけてしまったことが、あのペンテコステの日、「兄弟たち。私たちはどうしたらよいでしょうか」との悲痛の叫びに繋がっていることを悟って欲しい。  今、私達はイエス・キリストの時代にあって、限りない祝福に与っていることを知らなければならない。真理の御霊が今はおいでになり、私たちをすべての真理にお導きくださっているからである。その御霊に依らずして、いくら聖書を読み、聖書学者になったとしても、それは無、前車の轍を絶対に踏んではならない。今の終わりの時代、聖書さえも人が変えてしまう世になっている。神のいぶきによって与えられている聖書66巻に御霊のお助けにより聴け!

 
2015.03.08(日)


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