聖書のお話 「新しい天と新しい地」―信仰の本質(13)
ヨハネの黙示録 21章 1節

  多くの人々は天の国を自分の目で見なければ信じないというが、見ずして信じない者は、また、天の国へ入れないのも真実である。
  あるキリスト信者たちは聖書にあるから、その存在を信じるといいながら、そこに行くことを待ち望んでいる人は少ない。そうかと思うと自分だけで天の国へお先にと言わんばかりの人もいる。ヨハネ 3:16の意味を、よくよく、かみしめなければならない。
  老ヨハネは啓示された新しい天と新しい地に入る意味を、どうにかして私たちに伝えたいと、その晴れやかさ喜ばしさを表現しようと婚宴の席の花嫁で表現している。創世記には神と人が共にいたエデンの描写があるが、来るべき新しい天と新しい地は、単なるその復元ではない。そこには神ご自身が、その民とともにおられて、そこには一切の争いもなく、もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。今の世界で味あう喜びや感動は時間が経てば消え去るものだが、新しい天では、それがいつも溢れている。愚かな人は言う、そんなところは面白みがないと。限りがある人間の知恵では神の国を推し量ることは不可能。ヨハネがその全容を表し得なかった場を、イエスは用意されていて、あなたを迎え入れようと待っておられる。

 
2014.12.28(日)


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