聖書のお話 「痛んだ葦を折ることもなく」―聖書の植物(16)
−葦− マタイ 12:18〜21

  ある安息日にイエスと弟子たちは麦畑を通られた。ひもじかった弟子たちは穂を摘んで麦を食べ始めた。つけ狙っていた敵対者は弟子たちが安息日を破った証拠見つけたりとばかりイエスを攻撃する。イエスは、ご自分が安息日の主であると宣言され、「安息日は人間のために設けられたのであり、人間が安息日のために造られたのではない」と諭す。 当時、ユダヤ教の指導者たちは、やたらと神の律法に人間のおきてを付け加え、人々はそれに悩まされていた。かつて、イエスが「すべて疲れた人、重荷を負っている人は・・・」と仰せられたが、その重荷こそ、宗教的指導者の偽善、そのものであった。イエスは次にイザヤを引用され、激しくイエスに反対するパリサイ人と主のしもべとを対比される。民衆はローマと戦うイエスを期待するが、主は大声で言い争う方ではなく静かにみ父のみ心に従う姿を見せる。主のしもべの務めは異邦人にも公義を宣べ伝えること、即ち、いるべきところから離れてしまった人間を本来の所に戻し、神の民として回復させるためであった。それはまず、痛んだ葦、くすぶる灯心を顧みられるばかりか、最後の勝利にまで導くお約束をくださっている。それが神のみ心であります。神は、今、その務めをあなたにも託されていることを強く知り、立ち上がって下さい。

 
2014.08.31(日)


>> 最新のメッセージ
© はるなキリストの教会