日ごろ、祈ること。T コリント 9章 9〜12節

  「私が貧しくて、盗みをし、私の神の御名を汚すことのないために」との祈りが箴言30章にありますが、私の日々の祈りの課題の一つは主の御用に長年仕えながら、手許不如意で老境を迎えている大勢の方々のことです。勿論、既述のような不信仰なことは、どなたもなさらないのですが、多くの場合、詩篇 37篇25節のお約束が、直接、教会からではなく、信者ではない親族によってなされていることを多く見ますので、よい証しにもならず、心が痛みます。

  今、多くの教会では専任で働く人を求めていますが、何しろ特別の献身者が、どこでも少ないのです。理由はいろいろありましょうが、もしかすると、年老いた伝道者たちのこのような姿を見て、気後れする人もいるのかとも思ってしまいます。そればかりか、若い伝道者の中にも家族のために、外で苦しい労働をしている方が随分います。だらしない! 不信仰だ! それで献身などとどうしていえるか? と言うのは簡単ですが、上掲の聖句をよくお読みになってください。中国の故事に「まず隗より始めよ」とあるのを思い出します。今、懸命に仕える伝道者を、また、第一線を退いた方々を祈りに覚え、重荷を負いあい、心を一つにして福音のために、ともに奮闘しては如何でしょうか?(ためらいつつ書いています)。

 
2014.08.10(日)


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