聖書のお話 「自分を捧げる」−30−
ローマ人への手紙 6章 6〜13節

  「捧げる」と言うギリシャ語を英語ではpresent と訳していますが、OCUのヒューゴー・マッコード博士訳の新約聖書では、YIELDという言葉を使われ、パウロの言わんとしたところの意を尽くしています。

  イエス様がある人に、ついて来なさいと言いましたが、ある人は、「まず・・」と言い、他の人は「その前に・・」と言ったとルカ 9:57〜は記していますが、自分の十字架を負って、イエス様について行くとはなんの条件も付いていないのです。それをある人は、それでは犠牲が大きすぎると言うが、そうか? 「一粒の麦が地に落ちて、豊かな実を結ぶ」とは、どういう意味ですか? 農夫が畑の雑草を取り除いたまま何もしなければ、それは骨折り損だけだろうが、彼はそんなバカなことはしない。草取りの後は種を蒔き、収穫の秋を待ち望むのです。

  イエス様の十字架のゆえに、あなたは聖められ、もったいなくも今は神の義の器として、地の果てにまで福音の種を蒔くために用いられているのです。聖歌565「みな、捧げまつり」の原詩は、I surrender sllです。この犠牲=自らの十字架を負って、イエス様について行くことを恐れているので、多くの人が、その後にくる計り知れない大きな祝福を無にしている。 神に捧げる時の恵みを詩篇23篇に確認して下さい!

 
2014.03.30(日)


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