聖書のお話 「まあまあと言う文化」−26−
マルコ 12:28〜34

  私の周りにいるアメリカ人の宣教師が笑いながら口にする日本語の一つに「まあ、まあ」がある。私たちの持つ曖昧さの文化を知りながら、なお、それでいいのですかと問うている気がする。それを吟味したい。

  今日の聖句はマタイ 22章に並行記事があり、マタイも、その日以来、もはやだれも、イエスにあえて質問をする者はなかったと記しているが、この律法学者は初めこそ陥れようとの魂胆をもってイエスに近づいて行ったが、次第にイエスのことばに捕らえられて行ったのではないかと思う。28節以降はまさに神の義と人の罪との戦い、息詰まる展開の末に、イエスの「あなたは神の国から遠くない」というおことばを聞いて、ああ、よかったと私はほっとしてしまうが、それは断じて誤り。「遠くない」とは、近くまで来たが、未だ、神の国には入っていないと断じているのだから。私たちの周りには、キリストの道に好意を持つ人が、あまりに多すぎる。中国の諺に、「九尋の功を一簣にかく」と言うが、私たちも最後の一歩を踏み出させないで、よしとする不徹底さがないか? キリスト者と言われるあなたもバプテスマを卒業と勘違いしていないか? 「最後まで耐え忍ぶ者は救われる」とイエスは言われる。最後に門を通って都に入れる幸いに与れよ! ヨハネの黙示録 22:14

 
2014.03.02(日)


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