聖書のお話 「祈りと答え」−2−
マタイ 21:22

  「もし、おできになるものなら」と重病の息子を持つ父親は、こう イエスに願いました。マルコ 9:22、一方、イエス様は「父よ。わたしの願いを聞いてくださったことを感謝致します。」と祈られました。 ヨハネ 11:41、多くの場合、私たちの祈りと称するものは前者ではありませんか? 今朝、与えられた聖句に合わせてみる時、そこには決定的な違いがあります。私たちの祈りというものは、ある時は独りよがりの演説、ある時は疑念を持ちながらの遠回しのナゾかけか愚痴です。

イエス様は、「信仰を持ち、疑うことがなければ」とおっしゃいますが、 信仰があるとは、イエス様を通して父なる神との正しい関係が確立していることを意味するのです。パウロが、「私たちは子としてくださる御霊を受け、御霊によって『アバ。父』と呼びます」と記したとおりです。ローマ 8:15.ある人は、この御霊を賜りながら、使徒 2:38、そのお方を自分の傲慢で覆い隠してしまっているので、真に父よと叫ぶ祈りがなく、当然のことながら、神のお答えも与えられずに不平を言う。 

父なる神様は、あなたの必要をすべてご存じで、すでに最善のものを備えてくださっています。マタイ 6:32.これを知ったとき、パウロのトゲは恵みに変わったことを知る。Uコリント 12:1〜10。

 
2014.02.16(日)


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