聖書のお話 「今も導き賜う神」−19−
詩篇 23篇

  「1年の計は元旦にあり」と、今年も、これをし遂げると心に誓った人が大勢いますでしょう。三日坊主とは言いませんが、いろいろな理由で、多くの方が、やがてやめたり、忘れたりしているのも事実です。 詩篇23篇には私の導き手としての神、そして導かれるべき迷いやすい私が羊として描かれています。自分が迷いやすい羊などとは、とんでもないと言い張りますか。この真実を私は長年の体験から確信しています。

  時代が下がって、イエス様がお話なされた迷った羊の例え話をルカが書き留めていますので、その福音書15章1〜7節をご覧ください。

  朝になれば緑の牧場に、昼には憩いの水際に伴われる。そして夕には、一匹づつ名前を呼ばれて安全な牧舎に入れられ休む。ある羊はこれが当たり前のことと思えたので、こんなことは自分でもできると、勝手に動き始めました。何事もなく日が暮れかかったとき、羊は自分の休むべきところを見失っていました。それを知った羊飼いは自業自得だと言って、その羊を見捨てず、夜の山に再び分け入り、羊への愛が、ついに迷った羊を見つけ出し、大喜びで羊を抱えて帰ってくるという大筋です。 「主は私の羊飼い。私は乏しいことがない」と言える人は幸いです。しかし、その背後に羊飼いの大きな犠牲があることを忘れてはなりません。

  主の杖が鞭が私の慰めとなるので、主の導きのうちに歩む人生には恐れはない。なぜなら、神の慈しみと恵みとが私を追ってくるのですから。「いつまでも主の許にいる」、これこそ元旦の計であるよう祈ります。

 
201401.12(日)


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