聖書のお話 「イサク・・は再び井戸を掘った」−12−
創世記 26章18〜19節

  イザヤが「あなたがたは喜びながら、救いの泉から水を汲む」と書き留めましたように、聖書では泉は神の民が経験する神の恵みとして出てくる。事実、パレスチナは雨が少ないところでしたから、牧畜の民にとって井戸は命に直接かかわりがあり、繁栄の源になっていました。

  アブラハムのときとは別の飢饉が襲い、イサクはペリシテ人の土地に行った。いろいろなことがあったが主は彼らを祝し、富ませたのでペリシテ人は妬み、父アブラハムが掘った井戸を全部、ふさいでしまった。彼らの度重なる邪魔にもかかわらず、イサクは黙々と別に井戸を掘り続け、ついに泉がわき出した。このことから神の恵みは子々孫々と自動的に遺伝するものではなく、個々の信仰体験であることを暗に悟らされる。

  また恵みの井戸が敵にふさがれるということは、今の私たちの恵みの井戸も悪の勢力から絶えず、攻撃されていることを示される。それはあなたを聖書から遠ざけ、主の日を自分の日に変えさせ、主の家族ではなく、神なき者との交わりに埋没させ、私のための主イエスの十字架を忘れさせる。今日の霊的教訓は誰かの井戸を当てにするのではなく、自分の井戸を掘れ。その水を豊かに汲み出すこと。イザヤ 40:31

 
2013.11.24(日)


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