聖書のお話「誇る者は主を誇れ」−Tコリント(4)
 コリントT 1章26〜31節

  「誇る者は主を誇れ」というみことばを読むたびに、私はあのヨブを思い起こします。すべてを取られ、なかんずく子どもを全て失った絶望の極みの中で「主は与え、主は取られる。主のみ名はほむべきかな。」となおも主を仰ぎ見たヨブをです。  人はこのようなとき猛然と神を非難し、恨みつらみをぶつけ、その逆に万事好調の時は神を忘れ、自分の力を誇り、他を顧みないのが常です。  コリントの彼らは教会が大きくなった、学者もいる、偉い人もいる、金持ちもいると誇るが、パウロは救いをくださったのはどなたか? 永遠のいのちは御子イエスにある、それにもかかわらず、あなたたちはそれを忘れ、自分を強調する過ちを冒していると激しく戒めます。「義人はいない。一人もいない。ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスの贖いのゆえに、あなたがたは値なしに義とされた。」のだ。 「誇る」と訳されているカウヒャオマイということばは、「栄光を帰す」という意味もあり、私にはこの方がなんとなく分かりやすい気がします。  あなたは誇らないかもしれないが、「はい、神様のお蔭さまです」とのことばを忘れてはいないか? 今週は、それを覚えて歩もう!

 
2013.03.31(日)


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