聖書のお話「神の愚かさ、人の賢さ」−Tコリント(3)
コリントT 1章18〜31節

  何ということだ。私は彼がきっと出て来て、立ち、彼の神、主の名を呼んで、この患部の上で彼の手を動かし、このツアラトに冒された者を直してくれると思っていた・・・」と怒って言って、エリシャから去ったナアマンの態度は私たちに様々な事を考えさせる。U列王記 5章

  幸いにも忠実な部下により彼は神の恵みに与ることができたが、このように、多くの人の宗教観は、人間の知恵と力の限りを尽くした壮麗な伽藍、教祖などの目を奪う装束、もっともらしい儀式、列をなして集まる群衆、時には強制される肉の修業に法悦をさえ感じるのである。

  キリストの福音とはなにか。キリストは聖書の示す通りに、私たちの罪の贖いのために十字架上に死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書の示す通りに三日目によみがえられたことです。これはユダヤ人にとっては躓き、日本人などの異邦人にとっては愚かであるとパウロは喝破する。そこには私たちの出る幕がまったくないと人はいうが、考えて見よ。自分をどのようにして、救うことができるか? 人は自分自身を持ち上げることさえできないのに、ましておや、である。ヨハネ 3:16は容易く理解できるか? 否、エペソ 3:18〜19を見よ。

 
2013.03.24(日)


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