聖書のお話「私は山に向かって目を上げる」
詩篇 121篇、シリーズ−15−

 愚かにも、若い頃はこの讃美歌を歌う度に故郷の榛名の山々を思いだしていた。啄木の「ふるさとの山はありがたきかな」と同レベルである。

  山紫水明のこの辺の山では厳寒期に遭難したとしても、数日だったらどうにか助かるだろう。ましてや他の季節ではなおさらのことである。

  このような精神風土に生きる日本人は残念ながら汎神論が多い、すなわち最終的には信じる対象はなく、自分でどうにかできると思っている。

  パレスチナの山々は違う。昼の酷暑が彼らを打つことがなく、夜の寒月が彼らを打つこともなかったのは、ただ、主なる神のご恩寵であった。

  このお方は私の足をよろけさせない。昼夜、私を危険から守られ、全ての災いから守られる。それどころか私の生きる道すべてを守ってくださっている。それも時々ではなく、このお方はまどろむことも無く、眠ることも無く、四六時中、私をお守りくださっておられる神である。

  このお方により頼むとき、何の困難にも遭わないとはいっていない。困難の時に共にいて、私の重荷を負って下さるのだ。ダニエル書 3章。

 
2012.12.30(日)


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