聖書のお話「私の声を聞いてくださる神」 
詩篇 116篇、シリーズ−13−

 もう、何十年前か映画伝道で用いたある映画を今も覚えている。彼女はどん底に陥った時、「天にいます我らの父よ」と祈っていたが、祈っていくうちに思わず、「天にいます、私の父よ」と叫び、それをきっかけにどんどん道が開けていったことを。驚くことに多くの人は、「神は実に・・世を愛された」との「世」の中に自分を入れていない。神が私を創られ、神が私を愛してくださっていることに無頓着である。一般論として神を知っていればよいとしている。この人は、そうではない。わずか19節の短い116篇のなかで、30回も私という言葉を使っているところに、その信仰が現われている。「私が、私が」といっても、彼が決して自己中心の人間ではないことは明らかである。自分が神の前でどんなに小さな者か、神の恵みに与るにふさわしくない者かをも十分心得ている。

 彼は神により九死に一生を得ている。涙をぬぐわれ、つまずいた時は手をひいて起こしていただけた。それゆえに彼は神を個人的に讃美出来たし、「私は生ける者の地で、主が私になにをしてくださったかを証しつつ、主の御前に歩み続けよう」と自分の目的を把握できたのである。

 
2012.12.16(日)


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