聖書のお話「わがたましいよ。主をほめたたえよ」 
詩篇 103篇、シリーズ−12−

  私は多くの方々のお蔭で今日があるので、どのようにお礼を言えばよいか、言葉が見つからない。ましてや、父なる神に対しましては百万遍、感謝の言葉を申し上げてもまだまだ言い尽くせないのである。

  パウロは「その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができるように」と祈ってくれていますが、詩篇103篇も、そのような私にどうすればよいかを教えてくれる。全編、心を込めて神への讃美、否、それ以上に礼拝を捧げている。第一節と最終節の「わがたましいよ。主をほめたたえよ」が美しくも、がっちりと前後を支え、その間の1〜5節は個人的な讃美が、6節から14節は家庭そして民族の讃美へと拡がり、15節から22節は全ての造られたものの讃美にまでかけのぼっていく様は壮大である。神への感謝は言葉だけでは到底、言い表せない。その喜びを言い表せるのは日々の神への畏敬の念と讃美であり、日々、いただく神の恵みを覚え続けること、また、へりくだって神の言葉に裏付けられた生活を送り続けることが真の感謝、お礼の言葉と教えられる。

 
2012.12.09(日)


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