聖書のお話「主のみ声に聴き従う時、主の讃美が始まる」
詩篇 95篇、シリーズ−10−

  詩篇 95篇は讃美とは何かをじっくりと教えます。1〜7節の前半は主なる神への讃美、7節後半から11節までは、その根拠について明らかにします。主の御声を聴き、それに従う時、私たちは自ずと感謝の声がわき上がってきます。それこそが主に讃美を捧げる祈りの歌です。

  東日本大震災被災地の皆さんとよく『故郷』を歌います。「いかにいます父母」と歌う時、亡くされた方々とともに泣き、「いつの日にか帰らん」のことばに悲嘆の涙を流し合います。このような叙情歌は精神衛生上、とてもよいと思いますし、私もよく歌いますが、ただ、日本では主をほめたたえる歌がその延長線上に位置しすぎる気がします。また、夏のキャンプソングのように、手拍子を打って、互いに元気づけるテンポのよい曲も最近は流行っています。嬉しいとき、悲しい時に歌い合っても、それは讃美歌にはなりません。イエス様にツアラアトを癒された9人は天にも昇る気持ちで、歌いながら自宅に帰ったでしょうが、主を讃美したのは、あの1人のサマリヤ人だけでした。喜びをくださった神を知り、み前に拝するときに讃美は感謝の捧げものとなり口から出て来るのです。これからは讃美をもっと大切にしましょう! ヘブル 13:15

 
2012.11.25(日)


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