聖書のお話「鹿が谷川の水を慕いあえぐように」 
詩篇 42篇−詩篇シリーズ 5−

 この詩篇は日本語では美しいことばで歌い上げられていて、憩いの水際で水を飲む小鹿の一幅の穏やかな名画をみるように思うかもしれない。

 そして青年たちは「鹿のように」とにこやかにメロディーを口ずさむ。

 しかし、自分を鹿に例えている詩人の叫びは悲痛である。鹿は豊かに流れる谷川の水を慕っているのではない。鹿は猛獣にか、狩人に追われ必死に逃げ回り、今や森から砂漠に追い出されてしまった。喉は焼けつくように渇き、息も絶え絶えに必死に一滴の水を探し求めているのだ。

 彼は今、神を礼拝する場所から遠く離れ、周りの神を恐れぬ者たちは神を嘲る。彼は絶望のあまり食も喉を通らない。ただ、とどめなく流れる涙が口に伝い流れ込むばかりである。彼は今の苦しみをしばし逃れようと、遠き良き昔に思いを馳せ、一時の安らぎをえようとするが、うなだれるばかりである。なぜ、思い乱れているのか、あなたは神を待ち望んでいるのにと神は声をかけてくださる。あなたは今の苦しみに過度に焦点を合わせ、それ以上の神のお約束を忘れている。あなたへの神の真実は未来に向かって拡がっている。どん底にいても神はあなたの祈りを聞かれ、必ず助けてくださる。11節を覚え、あなたの祈りとせよ。

 
2012.10.14(日)


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