ペテロは教会の内部から出て来た信仰の危機、特に信仰の根本である主イエスの再臨にたいする無知と無視に対し、長老としての豊富な牧会体験から具体的に戒めている。
第一世紀の信者たちは、確かに一刻も早い主の来臨を待ち望んでいた。それは大切ことだったが、そこにある主のみ心を知ることができなかった。だから、自分の思うように主が来られないと、嘲る者がやってきて再臨などはないのだから、自分たちの欲望のままにしていいのだと言い始めると、すっかりそれに騙されてしまった。
「主は、ある人が遅いと思っているように、その約束の事を遅らせているのではない。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられ、ひとりでも滅びることをお望みにならずに、全ての人が終わりの時代にあって悔い改めに進むことを望んでおられるのです」、「私たちの主の忍耐は救いであると考えなさい」とのみことばの深さをかみしめよう。
しかし、主はいつまでも待っておられるのではない、必ず、その日が来る。「しかり。わたしはすぐに来る」と主が言われていから2000年がたった。時は迫っているのである。そこに福音伝道の緊急性がある。
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