聖書のお話「サウロの回心」 
使徒の働き 9章 1〜20節

 主イエスはかつて、「あなたがたを殺す者がみな、そうすることで自分は神に奉仕しているのだと思うときが来ます。」と警告され、後にパウロ自身、「彼らは神に対して熱心だが、その熱心は神の義の知識に基づかず、自分自身の義を立てようとして」と言い、また老ヨハネがラオデキヤの教会に「わたしはむしろ、あなたが冷たいか、熱いかであってほしい。」と書き送ったが、その典型をかのタルソのサウロに見ることが出来る。

 逮捕令状をもって息せききってダマスコに向かうサウロは途上、栄光の光のなかに復活のイエスにお会いし、自分が取り返しのつかぬ事をしていることに愕然とする。しかし、サウロはイスカリオテのユダのごとく、自分で結末をつけることをせず、「主よ。私はどうしたらよいでしょうか。」とそのお方に全てをお委ねした。ダマスコへの三日間、彼の心に去来したことはあのステパノの説教、祈りであったろう。主の器・アナニヤによって、まったく新しくされたサウロは、すぐにキリストの福音の伝道者として立ち上がった。後のパウロは、この自分の大罪が赦され主のしもべとして新しく生きていったことを終生、忘れなかった。

 
2011.11.27(日)


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