ゼパニヤは1、2章において目前に迫った神の恐ろしい裁きを一般的に、また個別に宣べ伝えるが、3章においては一変して、新しい光を苦難のなかにも残った信仰者、そしてすべての神の民に祝福の約束を伝える。
全世界にもたらされる新しい救い、それこそが神の望みたまう最終の望み、すなわちユダヤ、神の民の回復であった。
登山者が富士山頂で待ち望むご来光のように、否、それ以上に確実に暗闇のかなたに、かすかな光が見え、それが次第に輝きを増してくることをゼパニヤは知り、ユダがまったくきよめられ、この残虐と無世界に神の愛と恵みの光を知らせる使者として立つことを待ち望む。
ゼパニヤは来るべき神の救いのわざを預言したが、その成就を見ることはなかった。主イエスが来られてから、このユダだけではなく、神のわざが世界的に広がるべく、今、私たちは主の十字架を通して暗黒から光へと移され、霊のイスラエルとして福音の使者として立つことを許され、生かされている。マタイ 28:18〜20を心にかみしめよ。
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