聖書のお話「しかし、私は救いの神にあって喜ぼう」 
ハバクク書 3章17〜19節

 皆さんが愛唱する詩篇23篇はヤハウエの神にあって、ダビデがいかなるときにも絶対の平安をいただける喜びを歌っているところです。ハバククも3章において、まったく同じ信仰を歌い上げています。

 私たちが見つけることのできるまことの平安とは、その人の神への信仰にかかっているとハバククは結論する。これは今日も同じ真理である。

 このせわしい世界、誰もがこの平安を探しもとめて動き回っているが見つからない。この平安、安らぎの真の意味をつかんでいないから。

 1章では神にむしろ苦情をいっているかのようであったハバククが3章では目に見えるもの、それ自体が平安を与えるものではないと彼は導かれ、神こそわが救いと叫ぶ。いかなる環境にあっても神は真の平安を私たちに確信させる。神の全能を信じよという。ヨハネ 14:27、15:11、ルカ 8:22〜25、神が常に備えたまう平安に気づけ!

 あなたは目前のことに気がとられ、神がすでにくださっている解決を見ない。コリントT 10:13.ハバククは、神の給う喜びが必ず見えてくるので今を喜ぶことができた。神はあなたを忘れることがない!

 
2011.07.24(日)


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