涙の預言者エレミヤはエルサレムの不信、それに対する神の怒り、彼らの罪悪の行く末である滅亡に悲嘆の極みに陥っている。
それにもかかわらず、エレミヤは私たちが遭うどのような苦難も神がご存じであること、神が遠くにいるように思える時でさえ、神は近くにおられることを知らされ、そこに湧き出る希望を自分だけにとどめず、不信の民に告げるのであった。
今日の個所には神とはどなたであられるか? そのお方に私たちはどのようにお応えすればよいのかを強く教えられる。
神は不信仰者に懲らしめを与えられるが、同時に、いつもそこには私たちを思い、自らそのみ手を制せられるお姿がある。主は希望を失い、苦悩のどん底にいる者に深い共感をも持たれ、彼らを決して見放すことなく、尽きぬ憐れみをおかけくださる。
それは朝ごとにくださる神のおん愛である。真実の神であられますからこそ、私たちはこのお方に絶対の信をおけるのだ。
改めてローマ人への手紙 2:4を心深くに噛みしめよう。
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