マタイ 27:32のシモンの例をみるまでもなく、当時、ローマ兵はことあるごとに住民の徴用を当たり前にしていた。
「イエスはここでそのような理不尽なことを我慢せよと言っているのであろうか。否、イエスは後に、「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」とおっしゃられたように、今、ご自分の死を前にして、弟子たちがそのような精神を持つことの必要を説かれているのである。それはいやいやながらの義務感だけで動くのではなく、頼まれた以上のことを喜んでする心がまえを持つことである。今、この危機にあたり、日赤などに募金して、ああ、これでよしと思う人がいかに多いか! 子を思う親を見よ。親は2マイルどころか、4マイルも8マイルも子どもに尽くし続ける。
「「何事でも、自分にしてもらいたいことは、他の人にもそのようにしなさい。」とは、どういう意味か? 聖霊はあなたがすべきことは既に充分に備えてくださっていることを知ってください。
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