聖書のお話 「信仰と行いと分けること自体が変!」 
ヤコブの手紙 2章14〜26節

  信仰といいますと、毎日曜日、欠かさず教会堂にいって、礼拝に出て、お説教を聞いて、献金をして・・・ということを繰り返すことだと勘違いしてはいませんか。へブルの記者はこのような人をまだ乳を必要とする幼児だと警告しています。5章12〜13節。

  信仰とは何かへの会員登録ではなく「あなたは地の塩、世の光です。」と宣言されたように、主イエスよりいただいた新しいいのちに生きる者であり続けることです。信仰には行いが伴うもの、表裏一体であって、切り離すことのできないものだからです。

  神の友といわれたアブラハムは、自分の思い、打算ではなく、徹底して、神に従い抜くことにためらいはありませんでした。

  今、東日本大津波震災にあたり、ヤコブ 2章14〜26節の教えを熟読し、「安心して行きなさい。」と口で言って、逃げていないか、どうか我身を吟味しよう。魂を離れた体が死んだものであるように、行いのない信仰は死んだものである。だから今日、

  自分に問いかけよう。「私の信仰は生きて働いているか?」と。

 
2011.04.03(日)


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