聖書のお話 「礼拝をお捧げする」P・へリントン
イザヤ書 6:1〜8

  しばらく、皆さんとお会いできなくなりますので、いろいろと考えましたが、今日は礼拝の本質をお話させていただきます。

 私たちはまことの神を礼拝するものとして召しだされています。神はいつもご自分の民がともに集い礼拝することをお望みになっておられます。私たちが礼拝するとき、なにが起こるかを見ます。

 取り上げましたイザヤ書 6章1〜8節の聖句がどうして、礼拝と関係があるのでしょうか。それは私たちの礼拝にいたる段階がくわしく示めされているからです。以下をご覧ください。
1、イザヤは恐れをもって神の偉大さ、栄光を拝しました。1節
2、聖なる神の前に立たされた時、イザヤは神の前に立ちえない自分の罪の大きさをみとめました。5節
3、告白により、その罪が神によってきよめられました。7節
4、イザヤは神に自分のすべてを明け渡しました。8節

 礼拝は自分の都合や好みでおこなうものでありません。あくまでも神が中心です。ですから日曜のみだけではなく、日々のきよめられた生活、永遠への視点が求められます。真の礼拝はあなたの態度、行動を必然的に変えていきます。すなわち、あなたが読むみことばに、あなた自身が調和されてくるのです。

 
2010.09.05(日)


>> 最新のメッセージ
© はるなキリストの教会