聖書のお話 「救われたものの続く歩み」
詩篇 126篇

 都上り、正確には宮詣で。ここに歌うシオンの繁栄をもと通りにされたことなど、旧約の歴史を知れば、興味がしんしんと湧き出てくるところ。不信仰のゆえに彼らは70年にわたり囚われ、その苦難のなかでの彼らの悔い改めと信仰復興はついにエルサレム帰還への道が開けた。聖都の栄光の回復の涙の祈りは応えられ、彼らの喜びが爆発したさまなどがよく歌われている。

 宮の再建、城壁の復興は、容易ではなかった。執拗な妨げ、工事中止、失望と恐れの中でも神を信じ、全てをささげ、ただ単に物の復興ではなく、神の民のいのちの復興をかけた働きであった。見かけはクロス王のお蔭と見えるかもしれないが、彼らはすべてを統べたもう主なる神に最高の感謝を捧げたことを学びとろう。イザヤも45章でそのように感謝し、歌っている。

 涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう・・は、彼らの未来を指し示している。事実、バビロン捕囚は神の民としての彼らの信仰を研ぎ澄ませ、深める時となった。神により頼み、再建にいそしむあしたに彼らの歓声が聞こえて来る。

 あの時の神のお約束は今の私たちに続く。信仰の前進という困難を恐れず、5、6節を信じて、神とともに第二歩を踏み出そう。

 
2010.08.22(日)

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