聖書のお話 「私にあるものを上げよう」
使徒の働き 3章 1〜8節

 美しの門のそばにすわっていた男も昔は癒しをもとめて、様々なことをしたであろうが、今はただ、すべてを諦め、日々の物乞いで満足していた。もし、そこに私がいたら、どうしたであろうか。

 恐らく憐れんで、いくばくかのお金を上げ、それ以上のことは考えもしなかったであろう。私たちは病の人の癒しを祈り、飢えた人に食糧を与え、災害に遭われた人々に衣類や住居を、孤独の人に耳を傾け、慰めの言葉をかけ、それだけでよしとしている。

 しかし、ペテロは違った。「私のもっている最高のものを上げよう。」と言った。それこそ主イエスの救いである。その男は癒されたが、それだけではなかった。それ以上に絶望から希望の人へと生まれ変わったことが、8節に見事に描き出されている。

 教会は単なる仲良しクラブではない。私たちの務めは単なる福祉ではない。「私たちにあるもの」とはそれ以上のものである。

 かのジョン・ニュートンがそれを「驚くべき恵み」と告白したように、私たちも私たちに与えられた驚くべき恵み、即ち、主の救いを追い求め、また、隣の方々に宣べ伝えていこうではないか。

 弟子とは主の言われた第一のことを、第一にする者であるから。

 
2010.02.14(日)


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