2010年。私たちは主イエスのよき弟子となるために、このみことばが語られた情景を思い起こしつつ、歩もうではないか。
ペテロに合わせ、私たちも、このおことばを、どのように受け止め得るか、振り返ってみたい。
ペテロは漁にかけてはプロである。そのほか、いろいろの諸状況があったにもかかわらず、ペテロは主のおことばを受け入れた。
そればかりではない。ペテロは目の前にいるお方が、どなたかと悟った時、そのお方の前に立ち得ない罪人の自分を告白した。
私たちは聖書を読み、主に祈り、礼拝を捧げながら、そのお方が、私の罪のために十字架にかかられ、私の罪を贖われた救い主であることを、果たして、どのくらい告白し続けているか。
痛みを覚えながら、己が十字架を背負って歩いているか? 陶器師の手にゆだねる陶土のごとく、己を主の御手にお委ねしているか。あまりにも私の意思、私の都合を優先しながら、私はクリスチャンだと言いはっていないか。己の罪を認め、その赦しを日々、いただき、人をすなどる主のしもべとなさせていただこう!
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